シベリア抑留!?

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この表題を見て「何?」と思われた方もおられるでしょう。この時期(終戦記念日前後)になると色々なメディアで戦争映画の特集があったり、戦時中の報道写真やニュースが目に留まる機会が増えます。

私の父は、8人兄弟の下から2番目で上の方の男兄弟は二人(長男、次男)、戦争軍人として従事した人達でした。

長男は、戦後、日ソ不可侵条約を破って侵入してきたソ連軍によって捕虜とされシベリアに2年間ほど抑留され強制労働に従事させられました。

次男は、特攻隊に入る予定で予科練で訓練中に終戦を迎えました。

奇跡的に帰還した長男は、長崎県佐世保市で少年刑務所の刑務官となり、退職後は保護司として社会に貢献し晩年は、天皇陛下から瑞宝章をもらい表彰されました。

次男は、公務員となり、静かな晩年を過ごしました。

二人の叔父から小さい時に聞かされた苦労話は数知れませんが二人とも昔気質で祖先が清和源氏の血筋らしく「礼を欠く行為、礼を失する行為」はするな、や「恥ずかしくない生き方をしろ」と厳しく言われていたのを覚えています。

まるで父親が3人いたかのようでしたが特に長男のシベリアでの抑留生活の話は印象的でした。

今年、天皇陛下がモンゴルを訪問されましたが、モンゴルで抑留生活を送った人もひとくくりにシベリア抑留というそうですが、叔父は地元のインフラ整備を担当していたそうで粗末な道具で作業に従事していたそうです。

すべてがまともな物(住む場所も食料も衣服も道具も)がなくその中で築きあげてきたものが80年の時を過ぎて健在で今でも稼働している様子がテレビに写しだされ地元の役に立っているようでした。

具体的に叔父がどのインフラ整備に従事したか分かりませんが粗末な材料と道具で作りあげたものが今でも稼働し、戦後の高度成長の中で最新の機械を使って作りあげたものが築40年、50年でスクラップになっていく現実に矛盾を感じるのは私だけでしょうか?

マンションの大規模修繕工事の相談を受ける仕事を行っていますが、私はメンテナンスさえきちんと行うことが出来れば100年は持ちますと答えるようにしています。

そうでなければ、最初から手抜き工事があったということです。

昨今、スーパーゼネコンの工事に施工不良があり、ニュースにもなったりしていますが、シベリア抑留で命がけで作業をしていた人たちの思いのひとかけらでもあればこんな問題は起きないのだけどなーと思う昨今でした。

書き足し、私の父も含めて二人の叔父は既に他界していますがいつも心の中で合掌をしております。

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